児童虐待…その3

児童虐待…その3

理事長の中村嘉孝です。

虐待への対処ですが、本当の虐待は強権の発動によってしか解決ができないと思います。

しかし、一方で「法は家庭に入らず」という法格言があるように、家庭内のもめごとは、その家のやり方にまかせるべきであり、安易に公権力が立ち入ることは望ましいことではありません。

だから、児童虐待についても、警察ではなく、主に児童相談所が扱うことになっているのでしょうが、結局は児童相談所にも警察のような強権を与えなければ、一番肝心の深刻な事例を未然に防げないということになります。実際、そのために法改正がなされ、児童相談所が臨検や捜索を行うことができるようになっているわけであるが、この、家庭に公権力が介入して、厳しいしつけなのか虐待なのかを判別するという点にこそ、児童虐待問題の難しさがあるはずです。

ところが啓蒙活動でよく聞くのが、「子どもへの体罰も虐待」という発言です。
しかし、そんなバカな話があるでしょうか。
私自身、子どものころは、先生から横っ面を張られ、家では母から掃除機の柄で体中殴られましたが、それを「虐待」と感じたことは一度もありません。今となっては、感謝すらしています。
明らかな虐待を行っている者が、「これはしつけだ」と言い逃れさせないためにはどうしたらよいかが問題の本質のはずなのに、「体罰はすべて虐待」というのは本末転倒で、問題を矮小化して、焦点を外させてしまいます。

ある啓蒙活動のホームページには、「お父さんお母さん一人で悩まないで」とありました。
また、行政の広報をみると、大阪市のように虐待の通報のみを呼びかけているものもあるが、多くは活動団体とおなじく、「子育て支援」を第一義としています。

たとえば、某県のホームページには、次のように書かれています。

「最近、児童が虐待を受けて死亡する事件が報道されています。
『なぜ、わが子を虐待するの?』と思う人が多いと思います。
しかし、児童虐待は誰にでも起こりうることです。
育児の悩みを相談する人がいない、一生懸命に子育てをしているのに子どもが思うように育ってくれない等、不安を抱えるなかで虐待が起こるも のです。
このような認識を持つことで、児童虐待の早期発見と早期対応が可能になり、子どもを救うことができます。
虐待している親は、子育てに悩み苦しんで いる人であり、非難される人ではなく援助を必要としている人であることを、理解してください。」

凄惨な事件とあまりにかけ離れた、耳に心地よい「啓蒙」です。

確かに、人間のグロテスクな本性の一面をことさらに強調し、差別へとつながりかねない人間観を打ち出すことは、広報活動にそぐわないかも知れません。
しかし、それらのイデオロギーにかかわる問題を避けて本質から目をそらしていては、結局は何のための「啓蒙」活動かわからない。それでは、カタルシスを得るためだけの自己満足の活動でしかないでしょう。

とはいえ、児童虐待に限らず、こんな鬱陶しいことばかり考えていては、社会生活を平穏に送ることができません。実際、私も「もう、余計なことは考えずに、大人になろう」と思ったからこそ、慈善団体に入会したはずでした。しかし、「児童虐待防止をテーマに」という話を聞いたときに、20年前の公衆衛生の講義のことが、真っ先に頭に浮かびました。そして、今、いわずもがなの書生論を書いてしまいました。