福益先生からのご挨拶

福益先生からのご挨拶

はじめまして。医師の福益です。
幼少の頃より、この世界で起こっているあらゆる不思議な現象や生命活動、そして自然現象に興味が尽きなかった私は自然科学の分野を志し、未知の領域を探索することに充実感と使命感と充足感を覚え今日まで精進して参りました。
1978年に世界で初めて海外で体外受精による赤ちゃんが誕生し、10年が経つ頃、日本にも体外受精の技術がやってきました。高度生殖医療の技術です。30年以上も前の話です、当時、私は大学で初めて人間の卵を見ました。採卵に立ち会い、卵胞の中から卵子なるものを穿刺吸引して初めて顕微鏡でその実物を見た時はこれが人間の始まりかと感動を覚えたことを今でも鮮明に覚えています。
また遺伝子診療というものがまだ日本でほとんど普及していなかった当時の時代に東京大学、名古屋市立大学、大阪市立母子センター(西成区)(現大阪市都島大阪市総合医療センター)、そして兵庫医科大学など数少ない施設で、先駆けて染色体検査と遺伝相談が行われていました。

当時まだ研究医をしていた私は、染色体の権威松本雅彦先生から羊水穿刺の技術と絨毛細胞採取技術を教えていただき、採った細胞を病院内検査室で培養し、染色体を取り出して1番からから22番までと性染色体を順に並べて、ダウン症などトリソミーの診断や転座や欠失などの検査を教わりました。
この時初めて顕微鏡で人間の染色体と言うものを目の当たりにした時はなんとも言いようのないような不思議な感覚、これがすべての人間を作っている遺伝子の入った設計図の本体、それを目の当たりに現実で顕微鏡で見ているという感動。そして横縞模様が入った虫のような染色体が非常に不思議でありながらある滑稽にも見えたと同時に、医療の生命の神秘に、新たにより強く惹きつけられる感覚を覚えたのを覚えております。

ダーウィンやレオナルドダヴィンチでさえ見たことがない、本物の人間の卵や、人体すべての設計図である遺伝子配列の鎖の折り畳まれた染色体をいとも簡単に見られる時代に生きていること自体が、近代科学史に照らして考えれば、信じられない奇跡であり、自然科学に興味を持ち、自然科学の分野に携わっている私にとってこの上ない幸福感を味わった一瞬であったかもしれません。
当時、厚生省の依頼を受け、遺伝胎児診断に携わる医師に遺伝の知識と診断および遺伝相談の技術を授けるというプロジェクトに受講生として参加するため、東京に2週間の鮨詰め合宿で遺伝学の権威や教授などのメンバーに教えをいただき、遺伝カウンセラー養成過程終了証を頂いた時は、自分もいっぱしの遺伝カウンセラーなどと少し生意気でもある喜びを覚えたものです。

以後、妊娠と胎児と妊婦を扱う周産期医療と言う分野に進み、ノーベル賞受賞者のiPS細胞の山中先生と大阪市立大学で同期で教員採用していただき、臨床研究と教育活動に従事し、日常診療の専攻科目としては周産期学、一般不妊、婦人科の医療現場が私の主な医療職場で、多忙な中、朝夕夜区別なく働きあっという間に35年が経過しました。 まさに光陰矢の如しと身をもって実感するほどの年齢となりましたが。

今では日本中の何百という他施設で高度生殖医療が行われ、また遺伝相談が行なわれる時代が訪れました。その間いろんな学会や専門研究部会ができ、いろんな専門医資格や試験認定医制度ができました。しかしまだ解らないことが自然界には山積しており、それを一つ一つ鋭い観察眼と技術と経験の積み重ねによって高めていく領域、今の医学界において、高度生殖医療はそんな領域の1つであると確実に考えられます。

しかしこの分野は、近代までは人類が踏み込み実際に触れることができなかった、いわゆる神の領域でもあり、その扱いには最高の倫理観と崇高なる理念と技術をもって望むべきものであるということを、重々心に留めながら、生命の尊厳を忘れることなく、日々の医療に邁進することで、本領域により有益な知識と技術がどんどん蓄積され、患者の皆様に最大の治療を提供できることにつながっていることをこれまで身をもって実感してきました。

このたび、ご縁があって、この分野で最先端の医療提供を行っているオーク会に医療スタッフとして加えていただき、歳月を経て今もなお目まぐるしく発展する先端医療である高度生殖医療(ART)に携われることは光栄の極みあり、今まで培った知識や技術をさらに高度な領域とへと高めてくれる分野に期待に胸を膨らませて真剣に向き合わせていただく所存で日々を送っています。

微力ながら尽力させていただきお役に立てれば幸いです。これからどうぞよろしくお願い致します。