卵巣機能不全への遺伝子治療

卵巣機能不全への遺伝子治療

医師の田口です。

京都大学から、将来的に不妊治療に役立つ可能性のある研究結果が発表されました。卵巣機能不全マウスに対して遺伝子導入技術を用いて排卵可能にし、そのマウスが自然交配で妊娠出産した、というものです。この成果は、同大医学研究科の篠原美都助教、篠原隆司教授らの研究グループによるもの。論文は「Cell Reports Medicine」に掲載されています。

この研究で用いられたのは、卵子形成促進分子である、サイトカインの Kit ligand(Kitl)です。これを卵巣に遺伝子導入しています。

卵胞の中で卵子は、顆粒膜細胞に囲まれています。そして、顆粒膜細胞に発現するKitlが卵子の生存を促進する分子として知られています。卵胞の周囲には「血液卵胞関門」と呼ばれるバリアが存在しており、外部からの物質の卵胞内への侵入から卵子を守っています。卵子にはKitlの受容体であるKitが発現し、KitlとKitの相互作用で卵子が発育します。これが阻害されると、卵子が発育しません。

実験に用いたのは、KitlSl-tマウスという、原発性卵巣機能不全のモデルマウスです。このマウスはKitlを欠損しているため、原子卵胞は存在するものの、卵胞が発育しないため、不妊になります。

卵巣にどのように遺伝子を導入したかについてですが、アデノ随伴ウイルス(AAV)を用いています。病原性がなく、ゲノムに挿入されないため、最近では遺伝子治療に適応されるようになっています。
例えばパーキンソン病や、網膜色素変性症などです。AAVにも多くの種類がありますが、このウイルスは我々の体に存在するバリア、「脳関門」という脳組織と血流を隔てるバリアや、「血液精巣関門」という精巣組織と血流を隔てるバリアを通過できるので、研究グループは、「血液卵胞関門」も通過できるのでは、と考えたようです。
卵胞に到達できれば遺伝子を導入することが可能になります。
100種類を超えるAAVの中から、AAV9と呼ばれるタイプのウイルスが血液卵胞関門を通過し、卵胞内の粒膜細胞に感染することができ、卵子には感染しないことを確認して、用いています。

Kitlを発現するAAV9ウイルスを作成し、成熟したKitlSl-tマウスの卵巣内にガラス針を用いてウイルスを卵巣内に導入したところ、遺伝子導入の直後から卵胞の発育が開始し、成熟卵胞を形成することが分かりました。

その後、遺伝子導入を行なった雌マウスを雄マウスと交配させ、遺伝子導入から約2か月で自然交配により出産に至りました。
19匹のマウスに遺伝子治療を行い、8匹 (42.1%)のマウスから合計29匹(平均3.6匹)の子孫が産まれており、その次の世代も出産できたことが確認されています。

また、遺伝子治療で最も危惧される副作用は子孫のゲノムへの遺伝子挿入ですが、今回の実験では、どの子孫にもAAV9のゲノムが挿入されていないことが分かりました。

今回の研究結果は、初めて原発性卵巣機能不全のマウスモデルにおいて遺伝子治療により妊孕性の回復に成功したものとなります。
このことが、ヒトにおける卵巣機能不全に関する新規治療の開発につながればいいなと期待しています。

技術の進展により女性不妊症の原因遺伝子が次々と明らかになってきている中で、他にも顆粒膜細胞に発現する遺伝子が関係する卵巣機能不全があります。
例えば、FSHR、FOXL2、INHAなどの遺伝子がそうですが、今のところ卵子提供以外に治療法がありません。これらのケースでも、今回のように遺伝子導入によって、排卵を獲得できる可能性も期待できます。
ただ、まだまだ安全性の面からの検証が必要なのは、いうまでもありません。また、遺伝子治療を行ったマウスのうち 4 割程度の出産にとどまっているようですから、現在の技術の更なる改善も大いに期待したいと思います。

(参考文献)
https://www.cell.com/cell-reports-medicine/fulltext/S2666-3791(22)00123-9

下記に詳しい研究解説がされています。(京都大学プレスリリース)
https://www.kyoto-u.ac.jp/sites/default/files/2022-04/220428_shinohara-1b3f864f1f65c8a8dd17501f8c4b3328.pdf